「推し」と応援消費

「推し」のアイドルを応援すべく、消費を含め色々と行動を起こすことがあります。今日的な応援消費というと、災害時にあるようなエシカルな行動というよりは、こちらを連想するかもしれません。実際のところ、いろいろつながりがあると思うところもあり、理論的にどう繋いだら面白いかなと考えていました。基本アイデアは、まず第一に、エシカルな行動としての応援消費は、交換化された贈与であるということでした。

 ここから、推し消費のようなものも、交換化された贈与の一種として考えて、まずは議論を始めることができます。アイドルのためにCDをたくさん買うことが応援となるように、本来消費とは無関係であったはずの応援は、交換に結び付けられるようになっています。それがエシカルであろうとなかろうと、今日の社会にあっては、贈与は交換と無関係ではいられません。

 その一方で、推し消費にみる贈与は、2つの意味でエシカルな意味での応援消費とは異なっているようにみえます。第一に、推し消費は破壊的な側面を持っており、応援するものに消費相当な見返りを与えるとは限りません。アイドルが時に神、あるいは文字通り偶像として見なされる通り、その贈与は交換を突き抜ける契機があります。実際はどうかわかりませんが、アイドルを推しすぎて廃人のようになる人も、いるような感じです(偏見かも)。

 いうまでもなく、こうした側面は贈与という点ではポトラッチ的です。エシカルな意味での応援消費もまた、しばしば交換からの離脱を狙ってきたわけですが、この離脱という点では、推し消費の方が徹底しているといえるかもしれません。本来的に贈与は、決して戻ってはこないこと、つまりは交換の否定を目指していたわけでした。

 推し消費のポトラッチ的な理解は、推し消費が顕示的で競争的であることとも整合的です。他の誰よりも、自分が推しであることを示すことがアイドルへの応援では重要になります。そしてこの際に、第二の点として、エシカルな意味での応援消費とは異なる視点を見出すことができそうな気がします。

 エシカルな意味での消費は、閉じているといいますか、自分と相手で充足しています。これに対して、推し消費の方は、充足的な側面もありますが、もっと競争に開かれています。これらはもちろん程度の差であり、エシカルな消費においても、例えばクラウドファンディングなどを考えると、競争的に拡大させることもできます。推し消費でも閉じた形の人々もいそうです。

 そうしますと、推し消費とエシカルな消費は単純に異なるというよりは、応援消費における贈与交換タイプとポトラッチタイプといった形で区分できそうです。そして、どちらも贈与が本来的に狙う(そして基本は失敗する)交換への接近と対抗を見いだすことができます。


2021年10月27日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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