市場ベースの資源論(備忘録2)

資源ベース理論はしばしば静態的なモデルであるとされる。資源が市場から購入できると想定していること、あるいはそこから逆に購入できない時に競争優位性が発生していると考えるからである。

このとき、彼らが拠って立ってきたはずのペンローズの資源観とはズレが生じている。競争優位性の源泉となる資源は、むしろ、市場からはそもそも購入できない。第一に、これらは蓄積されるものであり、蓄積された結果自体は取引してもあまり意味がない。市場で知識を蓄積した辞書を購入することはできるが、その知識を知っていて使えるためには学習する時間が必要である。この例だと、であればそういう人を市場から雇えばよいということになるが、実際にはそうもならない。なぜならば、こうした蓄積が実際に生きるかどうかは、その人がその力を発揮しようと思ってくれるかどうかにかかっているからである。すなわち、第二にこれらの資源は資源と組織の関係性に拠って規定されており、この関係性もまた同様に購入することはできない。

資源が蓄積的なものであり、また資源と組織の間の関係性に規定されていることこそ、資源が競争優位性となる源泉であり、同時に、弱みともなりうる(こちらは資源ベース論というよりは、資源依存論的な視点かもしれない)理由であろう。このあたりは、もっと一般的な理解、たとえば、競争優位には取引不能な固有の資源が重要、この資源は見えないのものだったり、ダイナミック・ケイパビリティのようなよくわからない万能能力である、的なストーリーでも回収できる。

ひるがえって、市場ベースの資源という場合には、これらにもう一つ、外部に蓄積されている、という要素が加わることになる。とはいえ、関係性と蓄積という話でみれば、外部の資源という意味合いもほぼ回収できるのかもしれない。関係性という形で、すなわち、外部と内部のインターフェイスにおいて、資源としての価値が蓄積されているといえるように思われる。

 

 


2020年11月10日 | Posted in エッセイ | | Comments Closed 

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