マルチカルチュラリズム

カナダを代表する考え方と言えばマルチカルチュラリズムがあります。日常用語というよりは、国によって1971年に制定されたpolicyであり、しばしば、その定義について説明を受けたりします。それが実際問題としてどのくらい機能しているか自体が議論の対象となるわけですが、とはいえ、多様だなぁと感じることは多い今日この頃。


Canadian Multiculturalism

ということでJCCCの新年会に連れて行ってもらいました。総領事も挨拶して一大イベントという感じ。JCCCは一度行ったほうがいいと言われていたのですが、なかなか行く機会もなかった次第。噂にたがわずとてもきれいなところで、日系の方以外も剣道をしたり合気道をしていたりしました。毎年映画放映をしていたりもするようです。

入り口には池田タワーがあります。池田さんは、JCCCの元理事長で、教えてもらったところでは現在80歳。今回の会にも来られていてハーモニカを披露していました。ネットで探したらちょっと昔の記事を発見。


Japanese Canadian Cultural Centre

駐在の人もたくさん来ていたようですが、同時に、こちらに移民した人もたくさん来ていて、3世、4世ともなると日本語はもうしゃべれないかもしれないと。全体からみれば日系移民は少数と言われますが、しかしこんなにたくさんいるんだなと思ったところでした。コマとか竹とんぼとか、将棋とか囲碁とかで子どもが遊んでいて、しかし日本と言えばテレビゲームかもなと思ったりも(笑

で、そんなことを思いながら、スケートにも行って、それから帰りにたまたま寄ってもらったのは多分中国のお寺。

多様ですな。お寺では、中国語で何か話しかけられたのですが答えられず。仏教伝来の本等もたくさん置いてあったり、占い?の場所があったりして、以前行った香港の道教のお寺を思い出しました。そういえば、行く途中ではいくつもギリシア正教会のものらしい協会もあり、いよいよ盛りだくさんでした。

後で聞いたところでは、移住後に母国語を使わなくなるのは、日系移民の一つの特徴なのだそうです。他国の移民は、比較的母国語や自国文化を維持するらしい。規模の問題と、それから戦時中のキャンプが大きいのだろうということではありましたが、とても興味深い話です。移民とアイデンティティ(、そして彼らの消費行動)といえば、消費者行動、消費文化に関わる一テーマですね。


遠足は行くまでが一番楽しい

マーケティングに優れたサービスの一つに、ディズニーランドがしばしば挙げられます。日本のディズニーはもとより、本場アメリカのディズニーランドともなると、規模も大きく、場所柄もあり、子供でなくても楽しめます。

Florida, OrlandoにあるWDWに行く場合、その広さからして日帰りは難しいところです。近くにホテルをとるか、あるいはワールド内のディズニーホテルに泊まることになります。当然、予約をする必要があるわけで、今であればネットで予約が取れます。

予約をするということが意味するのは、ディズニーにとっては、いつ誰が来るのかを知るきっかけになります。この情報は、おそらくこの手のサービスにとって、とても大事なことです。なぜならば、「遠足は行くまでが一番楽しい」からです。いやもちろん、行ったときも楽しいわけですが、これは大事なことです。

ディズニーホテルの予約をすると、ディズニーから定期的に連絡が来ることになります。「あと60日ですね。」「今日からファストパスを選べますよ。」「荷物に貼っておくタグを送ります。」「いよいよですね、忘れ物はないですか?」メールでの連絡はもちろん、しっかりと個人名が書かれた案内状?まで定期的に郵送されてきます。いやがうえにも期待は高まります。特にディズニーがうまいと思うのは、あまりしつこさを感じないというところです(個人差があるかもしれませんが、ここがノウハウなのかも)。スパムという感じもない。

もし、予約を入れる必要がないサービスを提供している場合、この「遠足は行くまでが一番楽しい」過程に入り込むことはできません。そこはただ純粋にその人だけのものです。けれども、特にサービス財の場合には、プロセスの管理が重要になるといわれます。サービス・マーケティング・ミックスによれば、サービス財は形もないため、通常の物財以上の配慮が必要になるわけです。その一つがプロセスの管理です。遠足に行くまでを射程に収めるディズニーのマーケティングは、なるほどと思った次第でした。

ディズニーがサービスを瞬間的なものではなく、一連のプロセスとして捉えていることは、例えば、ソロモンの『消費者行動論』のテキストにも記載されています。

「ウォルト・ディズニー社は携帯電話がテーマパークでの経験を高めることに期待している。ウォルト・ディズニー・ワールドでコメディショーの列に並んでいる人は、テキストメッセージでジョークを送ると、これから見るショーの中でそれが使われるかもしれない。重役の1人はこう説明した。「ショーにとって必要なウォームアップの働きをするとともに、待ち時間にも客を楽しませることもできる」(第9章、ネット上のコラム)。」

意識せずに読んでいるとへーそうなんだというだけですが、サービスとはどういうものであるのか。その満足はどうやって決まるのかということを考えてみると、彼らの周到なマネジメントがみえてくるように思います。ちなみにたぶんこれ、Monsters, Inc. Laugh Floorのことかなと思いました。CGアニメのコメディショーなのですが、インタラクションで観客とやり取り(客いじり)するのがすごい。どうやっているのかよくわかりませんでした。アニメに見せかけて実際に声優がいるのか、あるいは、観客がサクラ?ではないでしょうし(笑

ちなみに、ホテルに着くと、噂に聞いていたマジックバンドがもらえます(アメリカ国内であれば、事前に郵送されてくる)。これ、2013年に導入されたというハイテク機器ですね。部屋の鍵や入場パスの代わりはもちろん、あちこちでスタッフが撮ってくれるデジタル写真を後でまとめてダウンロードできる(もちろん有料ですが)。


~ディスニーワールドの新サービス「マジックバンド」、今春にもRFIDチップを活用した「MyMagic+」システム導入へ~

今のところディズニーの外に出てしまうと役に立ちませんが(アクセサリーとしてはもちろん使えますが)、何となくやりたいことはわかるような気がします。ネットや、こうしたデジタル機器はユーザーとつながっている状態を作るのに都合がいい。ディズニーに行く前だけではなく、もちろん行っている時だけではなく、日常においても、うまく関係性を構築維持し、また時に働きかけられるようにしておくというわけです。

いや、よくできているなと改めて思った次第でした。

AIBOの「治療」を考える



つらつら新年の記事を眺めていて、みつけたのがこれ⬇

製造元に捨てられたロボット犬「AIBO」。”治療”にあたる元エンジニア集団

これは興味深い。年末ボケが吹き飛ぶ勢い(笑。ということで、少し書きながらアイデアを考え直してみることにします。

記事のベースになっているのは、1999年に発売され、2006年に発売が終了したSONYのAIBO。販売が終了しても、しばらくの間は修理部品を補完しておく必要があるわけですが、この期間も2014年3月に終了したということで、修理窓口「AIBOクリニック」もなくなったとのこと。これだけであれば、他の製品でもありそうな話ですが、ペットでもあったAIBOだけに、もう少し話がややこしい。

既存のユーザーとしては、ペットとしてAIBOに期待するものは、死なないこと。にもかかわらず、故障し、動かなくなってしまうのは正直意外。その保証がなくなってしまうことは、ユーザーの心情としては確かに受け入れ難いかもしれない。さらに、そうした心情をくむようにして、A・FUNという元ソニーの方の会社が修理を請け負うようになり、注目を集めているということ。

興味深く感じるポイントは大きく3つ。第一に、こうした生命に関わるようなハイテク商品が背負うことになる旧来とは少し異なるようにみえる倫理的問題。確かに、iphoneやlexusもまた製造者責任的なものは背負うであろうし、販売終了後、部品保管期間終了後も、ユーザーが残り続けるであろうことは想像に難くありません。けれども、AIBOのような心情を引き起こすのかどうかといわれると、ちょっとよくわからない。技術と倫理というテーマを考えれば、一つのトピックに違いない。(倫理というと、どちらかというと広告であったり、エコ系の話を想像しがちなのですが、たぶん、技術の問題を考えた方が広がりがある)。

第二に、ユーザー側の心情は、なお考察に値する。機械に感情移入するとはどういうことなのか。さらにこの問題は、企業側のマーケティング施策にも影響を及ぼします。AIBOが登場した当時、日本ではある程度売れたものの、アメリカでは必ずしもヒットしませんでした。そこでソニーは、商品のリ・ポジショニングを考えます。この際の議論のテーマは、一つには、機械に感情移入する日本人という性格であり、それとは異なるアメリカ人にもAIBOは受け入れられるのかどうか、ということが問題になりました。さらにこの問題は、そもそも、なぜSONYはAIBOなるものを開発したのか、というより上位の戦略にも関わることになります。このあたりはハーバードのケーススタディで議論されるハイテク・マーケティングの定番。

Sony AIBO: The World’s First Entertainment Robot

そして最後に第三として、そうしたユーザーの心情に対応し、新しいサービスが生まれているという現実。例えば、Abandoned brandの事例として良く知られるApple Newtonの場合、ユーザーによる再開発・再販売の希望はかなえられないまま、結局ユーザーの自発的な開発行動にとどまりました。それ自体、確かにユーザー・イノベーションであったり、ユーザー・コミュニティであったともいえますが、今回の場合はそれとも少し異なります。ハイテク=ユーザーにはその原理がわかりずらく、同時に、倫理的な問題に関わる?からというべきなのか、あるいは、もう少し別の説明の仕方ができるのか。

もう少し考えられそうな気もしますが、ひとまず思いついたところまで。アマゾンでマーケティング倫理やハイテク・マーケティングで検索してみたのですが、日本語の本ないんですかね。。。