交換が価値を生む

マーケティングの基礎概念の一つは、交換(exchange)です。この交換の実現がマーケティングの目的であり、そのために複数の機能をマーケティングは提供している、と言われます。

2006年、『仮想経験のデザイン』という本をみんなで書きました。個人的に念頭にあったのは、セカンドライフに代表される仮想空間であり、この中で生み出される仮想商品や仮想通貨が実際に価値を持つという現象をどのように説明すれば良いのかということでした。その一つの答えは本に書いた通りですが、発想を逆転させることでした。

すなわち、本来価値がないはずの仮想商品や仮想通貨がどうして価値を持って交換されるようになるのか、ではなく、むしろ交換される過程に、いかにしてこうしたモノが入り込んでいったのか。価値があるから交換される、ないから交換されない、のではなく、交換されるから価値が生まれるという発想の逆転です。

当時、この話をしたときに、確かカルビーの方に質問された記憶があります。なるほど、それはおもしろい。ではマーケターとして考えたとき、次の問題は、まさに「いかにして」交換の過程に自分たちの商品を組み込んでいくのかである。どうしたらいいのか、というわけです。当時は、正直あまり答えがなく、それがマーケティングの仕事ですよね^^;とお茶を濁しました。この問題はケースバイケースであり、事例を丹念に追う理由もここにあるわけですが、今ならば、もう少し答えられるかもしれません。

セカンドライフとは別に、類似したケースがいくつか集まってきました。いくつか、というよりも正確には一つ^_^。以前書いた通り、基本的に無料であり、文字列の集まりでしかない顔文字が、今日、LINEを始めスタンプとして課金の対象になっている。それは、いかにして可能になったのか。

スタンプのことを考えていて、交換の過程とは、ようするにコミュニケーションの過程だと、言い換えることができるように思い始めました。人々がコミュニケーションをする。何気ない日常の会話でもいいのかもしれません。その過程に入り込むようになること。その過程において、例えば特定の単語が意味を持つようになります。人々が会話で^_^を用いるようになる。特定の言葉(多分商品名でもいい)を使うようになる。なるほど、そういうものがあるのだと人々が認識し、対象化して捉えるようになる。この対象化が社会的に共有されれば、それが実体として社会的に構築される。実体となった^_^は単にさまざまに解釈されるというだけではなく、実際の形を伴って変化していきます。@_@ T_Tといった新しい顔文字を生み出すこともあれば、デコメールやそれこそLINEのように、より高度な形で課金の対象になることもある。このときすでに、僕たちはそれらが交換に組み込まれてしまっていることに気づくことになります。

価値があるから交換されるわけではない。交換されるから価値が生まれる。そしてその交換の過程とは、人々のコミュニケーションの過程にその言葉が入り込むことから始まる。

そう考えると、例えば昨今のバズの重要性ももう少しマーケティング論としてうまく捉えられる気がします。バズが必要なのは、あるいは商品名を認知してもらうというのは、単に想起の可能性や購買の可能性を高めているのではなく、人々のコミュニケーションの過程に入り込み、交換の過程に入り込むことを目指しているというわけです。みんなに知ってもらうことが大事なのではなく、バズっている状態自体が大事だと言うわけです。

もう少し言えば、何かを交換するとは、それが価値あるものとして見なす契機を常に含みます。僕が誰かと話をする。その話の内容は、常に、何かしら価値のあるものとして、僕が見なすこともあれば、相手が見なすこともあるものです。もちろん、どうでもいい天気の話をしているのかもしれない。しかしあるとき、その天気の話がとても大事な話につながることもある。その可能性があるのは、ここではコミュニケーションが進んでおり、どうでもいい内容でも相手の解釈によって新たに意味を与えられる契機を有しているからです。この交換が繰り返されたとき、相互にその内容が意味あるものであり、価値あるものであると認識したことになる。2者間であろうと3者間であろうと後は同じ気がします。

セカンドライフの仮想商品と、LINEのスタンプはおそらく同じ論理で説明できます。さて、次の課題は、もっと典型的な商材についてでしょう。例えば、水やお茶はどうでしょう。僕が子どもの頃、お茶や水にお金を払うという発想はありませんでした。けれども、ある時から水やお茶を買うことは当たり前になった気がします。さて、水やお茶を買うようになったのはなぜか。ここは正直ちょっとアイデアが必要かな、、と思いますが、試しにさしあたり同じ論理で考えてみましょう。まず発想をひっくり返します。いかにして本来価値がなかったはずの水やお茶が価値を持って交換されるようになったのか、ではなく、いかにして交換の過程にこうした商品が入り込んでいったのか。一つのアイデアとしては、これもコミュニケーションの文脈においてみて、例えば、ペットボトル化されていくこととその可視化を考えてみる。ちょっとまだ弱いですね。ここがうまく議論できるようになれば、2006年来のアイデアをまとめることができます。

イースター

季節ごとに明確に棚が変わるトロントのお店は、とても印象深いものがあります。ハロウィンからクリスマスへ、クリスマスからバレンタインへ。そして、バレンタインから(ちょっとだけアイリッシュデーを挟んで)、次にやってくるのは、どうやら4月に行われるイースター(復活祭)のようです。

イースターでは、ウサギが隠した卵をみんなで探すことになります(必ずしも復活祭自体がそういうものだというわけではないと思いますが)。卵は本物をカラフルに塗りますが、チョコで代替されることも多いようです。沢山チョコ卵が売られています。ウサギもだいたいチョコにされています。お菓子メーカー稼ぎ時再び、という感じですし、卵の中におもちゃを入れれば、おもちゃメーカーも出番となります(笑

考えてみると、日本では徐々にハロウィンが普及し始めたように思います。祝祭としての消費を渇望する消費社会としては、そろそろ次のターゲットを探し始めてもいいころでしょう。イースターもまた、その選択肢の一つという感じはします。

なんにせよ、4月にトロントに来た際、まだ右も左もわからない中で最初に出会ったイベントがイースターでした。季節の中で繰り返されるイベントではありますが、人によっては、一回性を帯びた重要な出来事にもなりえます。


鮮度管理

 『ゼミナールマーケティング入門 第2版』(日本経済新聞社、2013年)には、鮮度管理の事例としてカルビーのポテトチップスが出てきます。ポテトチップスは、店頭にずっと置いておかれると、油が回っておいしくなくなってしまう。そこであるときから、カルビーは、ビジネス上の指標を売上から鮮度に置き換えたーー鮮度(による)管理の始まりです。

 鮮度が大事だと言うことではなく、鮮度をビジネス上の指標にすると言うことが大事だろうと思います。通常、ビジネス上の指標は売上でしょう。ポテトチップスであれば、どれだけ店頭に押し込めるかが重要になる。けれども、店頭に押し込めば押し込むほど、鮮度は悪くなります。短期的に売りは立ちますが、味は落ち、長期的には顧客離れを誘発しそうです。
 一転して、鮮度をビジネス上の指標にした場合、押し込みはむしろ鮮度を下げる悪手とみなされるでしょう。むしろ、鮮度を保つための小ロット配送というアイデアが重要になってきます。あるいは、実販売の見込みと生産を連動させる重要性が増すため、小売店と密な連絡が必要になってきます。関係性の構築が重要になるという話につながるところです。

 そんなこんなでマーケティングを考える上で欠かせない鮮度管理のアイデアですが、実際問題として、どのくらいの回転を前提にしているのかということは興味のあるところ。ふと、トロントでポテトチップスを見て気づいた製造月日と販売日を見てみましょう。こちらでは定番のLays。どこにでも売られており、おそらく回転も速い。フリトレーによって販売されており、ジャパンフリトレーは現在カルビーの子会社だったりします。

 February 7 – April 21とあるので、たぶん、2月7日に作られ、賞味期限が4月21日までということですかね。買ったのが3月1日ですので、3週間強、店頭に置かれていたことになります。鮮度管理、どうかな。。。

 さて、ポテトチップスをコンビニやスーパーで調べてみると面白そうです。


トロントにも花粉症はある模様

トロントをはじめとするカナダにいつか来られる方々のために、備忘録がてら(個人的な判断を含みますし、2014年度のことです。正確ではないこともかなりあります)。

12月ぐらいからマイナスの世界が続くこの地域。花粉症とは無縁だと思っていたのですが、2月の中旬からとても体調が悪くなりました。もともとそんなに花粉症とは縁がなかったこともあり、ここまでとは。。。

ネットで調べる限りよくわかりませんでしたが、クチコミ系では症状が出ている方がやっぱりいるそうです。hay feverが花粉症の意味ということですが、病院で聞いた限りでは、environment allergiesだといわれました。後でネットで調べてみると、Pollen 花粉。あくまでサイトにあったイメージ写真を見ただけですが、これは、、セイタカアワダチソウ、「ブタクサ」?。で、思い出したわけですが、これ、子どもの頃にパッチテストで強反応だったやつでは(笑。必ずしもスギではないようです。だから、日本ではあまり症状がなくても、こちらで症状が出たのかもしれません。


Top 6 Environmental Allergies

考えてみると、11月ぐらいにも、咳が止まらないという時期がありました。あのころも、今思うと何か飛んでいたのかも、、と思う次第。そのころは、単にエアコンの埃かなと思っていましたが、乾燥している分、いろいろ飛びますね。

最初は市販のOTC薬品を飲んでいましたが、あんまり効果なし。トロントでは、いくつか種類があり、Claritinクラリティン、Reactineリアクティン、Allegraアレグラ、あとAeriusエアリスといったものがあります。あとこれらのジェネリック。Shoppersに行けば一式そろいます。日本だと、たぶんアレグラとリアクティン(ジルテック)を見かけるような気がします。どれも試してみましたが、あんまり効果はない。。。11月のさいには、アレグラを飲んでましかなと思っていたのですが、今回は駄目でした。

で、しょうがないので、病院に行きました。ウォークインクリニックであれやこれや説明して、結局処方されたのは、CETIRIZINE HYDROCHLORIDE 20 mgでした。これ、実は上記のReactineと同じもの。ただし、成分量が倍になっています。Reactineは、同じものが10 mgでした。これでいいのかなと思いましたが、数日飲んで、確かに普通に生活できるレベルには戻った気がします。

わかってみれば、市販の薬の量を倍にすれば良いだけだったのかもしれません。ただもちろん、勝手に飲み過ぎるのは良くないので、基本的には医者の指示に従うべきでしょう。しかしまあ、単純に量を増やすというのは、意外に効果的なのかもしれないと思った今日この頃でした。何となくイメージとして、OTCと病院処方では、そもそも薬の種類が違うのかと思っていましたが、処方量だけ違うというパターンもあるわけですね。

で、最後に無理矢理消費文化に持っていくとすれば、花粉症というのは文明社会が生み出した現代病ですよね。グローバルですね、というぐらいか。日本だけに特有なわけでもない。

大学ストライキ

日本ではストライキ自体あまり聞かなくなった気がしますが、大学(の教員を含む一部)がストライキするというのは、海外ならではという印象があります。そういえば、先日確かブリヂストンの現地工場の話を聞いたときに、昔は何度かストライキがあったけど最近は良い関係が構築されていると言われていた気がします。最初のストライキは、そもそも工場ができる前にすでに起きていたらしい(笑 文化、ですかね。

これを消費文化というかどうかはともかく、労働者の権利を守るユニオンの考え方は、雇い主である資本家たちに相対するために重要なことだったと思います。その一方で、資本家と労働者の対立が現代において(日本だけ?)薄められていったのは、労働者という身分よりも、消費者という身分の方が際立ってきたからであるように思います。労働者は資本家に搾取されているのだ、というよりは、企業は消費者に奉仕しているのだといった発想の転換です。フォードがT型フォードを大衆にも届けようとしたとき、その大衆とは、他ならないフォードの従業員たちでした。

そんな時代の移り変わりの中で、大学でストライキが起こり、授業がなくなってしまうというのは、なんというか、印象深いことです。今回のストライキのメインは、TAと契約教員(非常勤講師なのか、それともテニュア(任期制限)を持たない講師のことなのかは、ちょっとよくわからない)ということではありますが、テニュア教員ではないとはいえ、あんまりザ・労働者という感じもしないですし。古いことしているなというよりは、何か新しい現象なのかもと思ったりもしました。

日本だと、少なくともTAにはユニオンはないでしょうか。こちらも基本的に大学院生がTAをしているようですが、日本だとTAは一つの職業というよりは、ちょっとお金のもらえる手伝いぐらいの位置づけですかね。非常勤講師については、日本でも昨今は雇用止めの問題があり、ユニオンが重要になってきているのかもしれません。テニュアのない教員についてはどうでしょうか、これもユニオンというほどのものはない気もします。いずれ出来てくるのかもしれません。

授業がないだけで、大学の中は至って普通です。学生の数は少ないものの、自習している感じの人たちも結構います。不便といえば、道路が封鎖されていて、バスが入って来れなくなっていることくらいでしょうか。聞くところでは、相互のユニオンの協定があり、相手のピケがはられている領域は、他のユニオンはそれを尊重して入ってはいけないらしいです。


中原淳他『人事よ、ススメ!』碩学舎、2015。

 2013年の春から夏にかけて、慶應丸の内シティキャンパス(慶應MCC)にて、例年のとおり中原先生をコーディネーターとした人気講座「ラーニングイノベーション論」が開催された。本書は、そこで行なわれた12講を一冊の書籍としてまとめたものである。ちなみに中原先生はこちら↓

大人の学びを科学する nakahara-lab.net

写真:株式会社 Trinity

 教育をテーマにした授業や本は面白い。というのも、これはメ・タ・的だからである。教育をテーマにした授業では、教育(の方法)を、その方法を使って教育するのだ。そうそう、と思った人は、きっとそのまま教育に向いている人であろうし、はて?と思った方も、まずはこの面白さを感じるところから勉強を始めることができる。

 本書(あるいはベースになった授業)は、このメタ的な側面がとても意識されている。一つ一つの授業が、この本でいえば一講一講が、それ自体、受講者がそれぞれの現場に戻った後に利用可能な教育の方法である。例えば、松尾先生の反転授業を通じて反転授業を学ぶことで、その後、自分でも反転授業を行うことができるようになる。あるいは、高尾先生のインプロ授業を通じてインプロを学ぶことで、その後、自分でもインプロを行なうことができるようになる(さすがに本でインプロするのはちょっと難易度高いかも)。ラーニングイノベーションが意味するのは、人材開発に携わる上で、こうしたメタ的な側面を身につけるということだろう。

 教育論は、理論重視(やり方をしっかり教えよう、学ぼう的な)と実践重視(現場の中で師匠の業を盗むのだ的な)を揺れながら発展してきたという。本書の12講もまた、これらの両極を意図的に行き来しながら議論が進む。けれども、たんに2つとも大事だということが結論にあるわけではない。より重要なのは、これらの議論を通じて、そうしたメタ的な側面を丸ごと理解するということである。

 もしかすると、メタ的な側面は、教育の授業に限らないのかもしれない。例えば、マーケティングの授業でも同じことを考えられる。マーケティング活動では、細かいところはいろいろあるものの、総じて「この商品は良いものですよ」と伝える必要がある。ということは、マーケティングの授業では、この商品は良いものですよというための方法を、実際にその方法を使うことで、「ほら、この授業は良かったでしょ」とわかってもらうことになる。どうやら、教育は、総じて、これは大事だよ、と言うことを伝えることになる。このとき、「これ」という対象と、「これは大事だよ」という行為が、入れ子というか再帰的というか、そういう構造をとる。

 だからしばしば、おまえが言うな的な、つっこみもありうる。ただ、この点では、教育を授業する時の方がシビアだろう。マーケティングができなくとも、マーケティングの方法を教えることはできる(と、、思う)。けれども、教育ができなければ、教育の方法を教えることはできない。本書の登壇者たちは、その緊張感を感じながら、その緊張感自体をうまく伝える術があったように感じる。

 あるいは逆に、このメタ的なセンスのようなものが身に付くと、今度は、どういうつまらない授業を聞いても、面白く学ぶことができるようになる気もする。授業の中で、中原先生が運転免許の講習を受けた話をしていて、普段は面白くないのだけど、今回は気分を変えて「これは面白い面白い、へーそんなことあるんだ!マジか?知らなかった!」といちいち驚きながらメモをとって受けるようにしたら、めちゃめちゃ面白くなってすぐに時間が経ってしまったという。ようするに、そういうことかなとも思った次第(これは、、本にも残ってましたかね?)。

 本を読むかどうかまよったら、まずはブログから見てみるのがはやい。無料ですし → 大人の学びを科学する